頭だった永野重雄氏

hue of the cleared meadows between

2016年03月03日 11:29



『"貧乏" は、もう売り物にならない』という寄稿文を文藝春秋誌に書いたのは、
昭和46年のことだった。
焼け野が原となった戦後から、
いわゆる高度経済成長期を経て、終焉としての昭和48年頃まで。
日本の経済政策は、一貫してお金持ちのアメリカの庇護をたよりに、
"貧乏" を売りにして、ぬくぬくと成長してきたと言える面がある。
この寄稿文でも、
アメリカが日本に売りたいものがたくさんあるが日本は"貧乏"であることを楯に、
巧みにかわしてきたことを語っていた。
いつまでも、このままではいけないと警告を込めた表現が成されていた。
その後の日本は見事なまでのノラリクラリぶりを発揮し、
ほとんど何も変わらずに40年近い年月が経っていった。

見渡してみれば、これに関連する戦後から清算されていない重大な問題が二つある。
その1、貿易の自由化。
日本が世界の自由経済の一員であろうとすれば、果たしていかなければならないのは自明。
今まで稼がせてもらったお返しをしたり援助をするのは、当然のことだろう。
その2、いつまで続く赤字国債。
赤字国債終焉のための増税であるとするならば、我々は痛みもこらえようと思っている傾向にある。

おそらく、野田政権というのは、この問題の清算をかけTPPや消費税導入を掲げたのだろうと思う。
だけども、問題は彼の姿勢。
スッキリしたものが見えてこない。

今日の日経新聞に、野田佳彦内閣の支持率が掲載されていた。
いつもながら支持率という数字は誰が作り出すのか、
巷間の評価とは乖離しているという感覚がある。
今までの最低と記載されていたが本当の数字でいえば、もっと低い気がする。

支持率低下の現れるところは、まず、TPP参加のヴィジョンがない。
消費税の増税だけが成され、赤字国債は増え続ける悪夢が現実のものとなりつつある。
これでは、支持率低下も当然という気がしてしまう。

「私は、どじょう」という『"貧乏" を売り物』にした何とも貧相な内閣であったが、
どうも、『こころの"貧乏"』 の方を感じてしまう。