頭だった永野重雄氏
『"貧乏" は、もう売り物にならない』という寄稿文を文藝春秋誌に書いたのは、
昭和46年のことだった。
焼け野が原となった戦後から、
いわゆる高度経済成長期を経て、終焉としての昭和48年頃まで。
日本の経済政策は、一貫してお金持ちのアメリカの庇護をたよりに、
"貧乏" を売りにして、ぬくぬくと成長してきたと言える面がある。
この寄稿文でも、
アメリカが日本に売りたいものがたくさんあるが日本は"貧乏"であることを楯に、
巧みにかわしてきたことを語っていた。
いつまでも、このままではいけないと警告を込めた表現が成されていた。
その後の日本は見事なまでのノラリクラリぶりを発揮し、
ほとんど何も変わらずに40年近い年月が経っていった。
見渡してみれば、これに関連する戦後から清算されていない重大な問題が二つある。
その1、貿易の自由化。
日本が世界の自由経済の一員であろうとすれば、果たしていかなければならないのは自明。
今まで稼がせてもらったお返しをしたり援助をするのは、当然のことだろう。
その2、いつまで続く赤字国債。
赤字国債終焉のための増税であるとするならば、我々は痛みもこらえようと思っている傾向にある。
おそらく、野田政権というのは、この問題の清算をかけTPPや消費税導入を掲げたのだろうと思う。
だけども、問題は彼の姿勢。
スッキリしたものが見えてこない。
今日の日経新聞に、野田佳彦内閣の支持率が掲載されていた。
いつもながら支持率という数字は誰が作り出すのか、
巷間の評価とは乖離しているという感覚がある。
今までの最低と記載されていたが本当の数字でいえば、もっと低い気がする。
支持率低下の現れるところは、まず、TPP参加のヴィジョンがない。
消費税の増税だけが成され、赤字国債は増え続ける悪夢が現実のものとなりつつある。
これでは、支持率低下も当然という気がしてしまう。
「私は、どじょう」という『"貧乏" を売り物』にした何とも貧相な内閣であったが、
どうも、『こころの"貧乏"』 の方を感じてしまう。