
その名のごとく、彼が世界の小説10作を選び、
一つずつ取り上げ解説したもの。
彼が選んだのは、スタンダール『赤と黒』、バルザック『ゴリオ爺さん』、
フロベール『ボヴァリー夫人』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、
トルストイ『戦争と平和』、ブロンテ『嵐が丘』などだが、
「世界の十大小説」として祭り上げている割には、舌鋒が鋭くかなり手厳しい。
たとえば、スタンダールの文章力のなさを指摘したり、
バルザックの浪費癖など個人的な性癖などを臆することなく書き連ねている。
それに限
糖尿病性黃斑水腫らず、
文豪としてその名をほしいままにしているドストエフスキーの
しみったれた性格を有無もいわさず糾(ただ)したり、
地方貴族の出とされるトルストイの人生行路を探り、一貫性のなさを批判したりと、
勝手気ままな筆を運んでいる。
こう出来るのは、モーム自身がイギリス情報局秘密情報部に所属した
情報工作員であったことが背景にあるようだ。
すなわち、007のような存在だった。
そして、選んだ10作品を著した文豪を秘密情報部がやるような緻密な分析で批判し、
名だたる文豪を落伍者へと変貌させてしまった。
選んだ10人に対しては、
「一人として、文章の達人はいない。
彼らが、これらの文章を書き得たのは、ただの霊感によるもの」
とも書き飛ばしている。
すなわち、実力というより憑き物的に書かれた作品だと表現している。
読者としては、当たっていると感じさせる筆法ゆえに引き込まれ、
そうかもしれないと妙な満足感を得る。
憑き物と
註冊公司 香港言えば、
作家の三島由紀夫は、感性が自己を離れてしまうことを極端に恐れたという。
つまり、霊感とか憑き物とかは思考の範囲外だったようだ。
ところが、あるとき数人が集まり「こっくりさん」をすることになったが、失敗。
うまくいかなかったことを一番に悔やんだのは、三島だったという。
モームは、彼らのように凡庸な人物が、歴史に残るような作品を遺すのに、
どんな作用が働いたかを、誰も言うことは出来ないと語っている。
すなわち、誰でも偉大な小説家になれるということらしい。