観戦している

ここしばらく、オリンピック競技を見ることに明け暮れている。

日本選手に期待する気持ちが
つい強くなってしまう。
自身では、そのつもりはなくとも、
変に気持ちの投入をしてしまうようだ。

昔であれば、「大和魂(やまとだましい)」という言葉を
聞くことになったろうが、
さすがに、今ドキは、聞くことが少なくなった。
この大和魂という言葉は、強烈な精神主義の意味で使われることが多いが、
日本での文書上の初出は、
『源氏物語』の「少女」帖とされる。

そこでは、そのような強い精神主義ではなく、
「和魂漢才」という意味で使われている。
すなわち、当時、中国から伝わった才や知識はすぐれたものだが、
それをそのまま受け入れるのではなく、
状況に合わせての判断力や能力こそが重要と説いている。
情緒を理解する心とあわせて、
日本の心として捉えているようだ。
それこそが、大和魂と言うことらしい。
まさに日本の強みは、そこだと紫式部は語っている。

「少女」の段では、
光源氏は、息子である夕霧が元服を迎えるところが描かれている。
通常の親ならば、
ひたすら子供の出世を願い、親バカに走るところだが、
光源氏が、自らの子に真の実力をつけさせようと
いわば谷底の子を落とす親獅子のようなシーンが展開される。
小獅子を見守り育てる教育をするという話。
観戦している

往年の日本のボクシングの世界チャンピオンに
藤猛(ふじたけし)という日系3世の人気ボクサーが居た。
片言の日本語で、『フジヤマ』『ヤマトダマシイ』
などの言葉を連発し、
視聴者を楽しませてくれたものだった。
彼のトレーナーであったエディ・タウンゼントは、そのほか
ガッツ石松や井岡弘樹など世界チャンピオンを
6人世に送り出した。彼の言葉に、
「100%教えない。70%だけ。残り30%は、選手。
自分の頭使わなかったらいいボクサーになれない。」
というのがある。

精神主義で厳しく育てるのではなく、状況を判断する力を育てる。
まさに、それこそ大和魂かもしれないと思う。


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